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白居易(白楽天) 放言其五の全訳

(translated by Yoshio Imai 2008)

 

放言 其五  は、

以下のように訳すと分かりやすいと思います。

白楽天は、もくげの花は一日だとも、哀れだとも決して言っていません。

多分、1000年前の誰かの誤訳を、ずっとひきずってきたものと思います。

 

 

泰山 不要 欺 毫末

泰山(たいざん)→聖地→聖なる考え方のできる人は、

毫末(ごうまつ)→毛の先→たくさんある→凡人を

欺く→だます→言いくるめる

不要(ふよう)→必要がない(中国語の熟語)

 

顏子 無心 羨 老彭

顏子(がんし、:多分、孔子の弟子で32歳で亡くなった顔回、論語には回と出てくる、

若くして死んだ秀才中の秀才で、孔子は褒めちぎっている。)は、

老彭(ろうほう)→彭じいさん→たぶん、殷の彭祖(ほうそ)→長生きした人

を羨(うらや)むつもりはない。

(中国語では有心、無心は、するつもりがある、するつもりがないの意味)

 

 

松樹 千年終 是 朽

松の木の 千年の 終りは、くさってしまうこと。

松の木(国家、貴族、官僚、軍人とその指導原理)

(中国語の是は、英語のis)

 

 

槿花 一日 自為 榮

槿花(きんか)→むくげの花→舜(しゅん)→舜若多(シュニャータ)→一切空→仏教の基本原理

一日(いちにちにして:英語のa day)→短い時間、あっというまに、

(おの)ずから

栄を為す(成す)

 

 

・・・・以下はその説明・・・・

 

何須 戀 世常 憂 死

何須(英語のwhy)→どうして、

死を憂ふ

世常(せじょう)→一般人→多分、顔回の死んだことを憂う孔子や儒学を

戀(したふ:英語のlove)→あいする→しんじる→もてはやすのだろうか、

 

 

亦 莫 嫌 身漫 厭 生

(また、すべて)→およそ、

身漫(self idleness)→自分が漫然と生きているのを

(きらい)

生きることを

(いと)

なんて人は、→などということは、

(ない)

 

 

生去 死來 都是 幻

(せい)→いのちが

()り→なくなり、

()

來(く)ることは、

都是(中国語のトウシイ、)→どちらも

(まぼろし)

 

 

幻人 哀樂 繋 何情

(まぼろし)

人(ひと)の

(かなしみ)

(たのしみ)

何の

(じょう)→事情→原理→理由

(中国語の情には、こころの情け、のほかに、情況、事情の意味があり、ここは多分、後者)

にか繋(かか)わるものなのだろうか

 

 

その答えは、白居易(白楽天)は、この放言には書いていません。

無意味といいたかったのか、

わからないといいたかったのか

それすらさえも幻にすぎないといいたかったのか

とにかく元政府高官の白居易(白楽天)は、仏門に入った方です。

冒頭にあるように、泰山(白居易)は、毫末である私たちを、

ごまかして、わかった気にするつもりは、ないようです。

 

 

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