説明: 説明: 説明: ピンク八重底紅6月24日CIMG0495メニューへ戻る

 

6.もくげ(むくげ)の文化

 

 

目次

その1 もくげ(むくげ)という名前の王様の話

その2 白楽天ともくげ(むくげ)

その3 私はもくげ(むくげ)、野のユリ

その4 源氏ともくげ(むくげ)

その5 お茶や生け花の文化ともくげ(むくげ)

その6 日本の伝統か韓国の伝統か

その7 空(くう)の概念ともくげ(むくげ)

その8 もともと日本にあったかもしれない

Vol.2 の最後に

 

 

ここに書いていますのは、見聞きしたこと、

考えたとで、正確かどうかはわかりません。

ただ、思いつきを、気の向くままに書いたわけでもありません。

知っている限り、いろいろなものを確認して書いています。

しかし、古い記憶や、見た資料、私の受け取り方に

誤りがあるかもしれません。

その時はご容赦ください。

 

 

説明: 説明: 説明: image002

 

その1 もくげ(むくげ)という名前の王様の話

目次へ

むかしむかしのそのまたむかし、

黄河のほとりの国に、もくげ(むくげ)という名の王様がいました。

私の知る、もくげ(むくげ)が登場する最古の話は、

そんなお話です。約4000年前の

紀元前2000年〜1700年のことです。

 

「史記」〜「宋鑑」まで18の歴史書をまとめた「十八史略」

という本があります。その最初の方に、この話がありますので、

司馬遷の編纂した「史記」に、書いてあるのだろうと思います。

太古、三皇、五帝、・・・・・

と始まる、この本の五帝のところに、こう書いてあります。

 

帝舜有虞氏姚姓或曰名重華

 

(みかど)の舜(しゅん)は虞()という地方に有()る氏(うじ:一族)で、

(よう)という姓(せい:みようじ)である。

(ある)いは、名前を、重華(じゅうか:チョンフォァ)とも曰(いって)いました。

 

つまり

姚舜(ようしゅん)さんとか重華(じゅうか:チョンフォァ)さんという

()出身の王様がいました。

説明: 説明: 説明: 殷

 

黄河のほとり洛邑の西の町が虞()です。

 

この方の徳の高さは、当時も、その後も大評判。

王様の子ではなかったのですが、先代の王様に認められ、

二人の王女を奥さんとしてもらい、王位をさずかりました。

 

多くの本やホームページで紹介されていますので、

姚舜(ようしゅん)さん、あるいは重華(じゅうか:チョンフォァ)さん

の話はそちらにゆずります。

文献やホームページを探される方は帝舜(ていしゅん)で検索してください。

 

姚舜(ようしゅん)さんは、通称が重華(大切な花)さんであることからも、想像できるように、

お名前の舜(しゅん)は、中国語で植物の木槿(もくげ/むくげ)のことです。

説明: 説明: 説明: image006

楷書体で行書体でと書き、

詩経には、「顔如舜華(顔はもくげの花のようだ)

という使われ方をしているそうですので、

大切な花、美しい顔、徳の高い王様

を表現するのに用いられていたようです。

 

これに草冠(くさがんむり)のついている、

楷書体の行書体のも、ありますが、

これも木槿のことです。

朝槿と同じように朝蕣という書き方もします。

こうなると「あさかほ(あさかお)」ですね。

 

花が開いても、すぐしぼみ、

しぼんでも朝になるとまた開くのが

()

もくげ(むくげ)

(まぶた)を開いてもすぐとじる、

閉じてもまたひらくのが、

(シュン)

まばたき、またたきです。

 

そして、このまばたきは

一瞬、瞬間

と短い時間を表すのにも使われるようになり、

意味を取り違えると困るようになりました。

 

蕣の草冠は、舜を「目の動きや時間ではなく植物ですよ」

とつけられたのではないでしょうか。

 

中国の人は

目玉のように見える底紅のもくげ(むくげ)

花の開閉を

目の瞬(まばたき)きになぞらえて、

花から目の開閉に舜の字を使い、

 

ドイツの人は

ゆで卵、目玉焼の卵をEi(アイ)

そんな花をつけるのが立ち葵Eibish

その中の灌木Strauch

もくげ(むくげ)Straucheibisch

(シュトラオホアイビシュ)

卵から花に名前をつけました。

 

日本では

目から鼻に抜ける

話があって、頭をよくしたい、

学校の成績をよくしたいと、

奈良の大仏様の鼻をくぐります。

 

中国とドイツ、大陸の東西で話の順序がかわっています。

この順序の入れ替わるのは、どのあたり、

となると、何ヶ国語も勉強が・・・・

とにかくむくげ(もくげ)を知り尽くすには長生きして、

何度も奈良へ大仏さまの鼻くぐりに行かなくてはならないようです。

 

説明: 説明: 説明: image008

 

目次へ

 

その2 白楽天ともくげ(むくげ)

 

(はかな)いのは松ともくげ(むくげ)のどっち

 

今から1200年余の昔の話

白楽天(はくらくてん)、本名は白居易(はくきょい)という人がいました。

たしか、唐の時代の中国政府の高官で、しかも詩人す。

有名な詩の一節があります。

 

松樹千年終是朽、槿花一日自成栄

 

(まつ)の樹()「めだたないが」千年も

「いきのこりり」(つい)に是(これ)は朽()ちる。

槿花(むくげ)は一日「だけ」自らの「派手な繁」栄を成()す。

と、解釈され、一日で枯れてしまう

もくげ(むくげ)の花は儚(はかない)として、

はかない物のたとえであるといわれています。

 

この解釈をするために、「」で示した

ところが元の詩にはないのに、書き加えられています。

 

しかし、もくげ(むくげ)を栽培してみると、

もくげ(むくげ)の花は、一日だけの花ではありません。

この朝顔の花は、

説明: 説明: 説明: image010

朝咲いて昼過ぎか夕方にしぼんで、一日で終わりです。

しかし、こちらの昔の朝顔、今のもくげ(むくげ)の花は、

説明: 説明: 説明: image012

朝咲いて、夕方に少ししぼんで、条件が悪いときにはそれでおしまいですが、

また、翌日ひらきます。夜にしぼまず翌日も開いたままの花もたくさんあります。

説明: 説明: 説明: 紫一重底紅0616CIMG0686説明: 説明: 説明: 紫一重底紅0616CIMG0691

716日午前429分  716日午前642

蓮の花と同様に、何回か繰り返してから、しぼんだままになります。

八重の花で、数日間そのまま開いたままの花もあります。

長いものですと、2週間ほど一輪の花を楽しめることもあります。

白楽天(白居易)は槿花といっていますので、あきらかにこの花のはなしです。

 

2008年最後の花は、6日間咲いていました。

説明: 説明: 説明: CIMG8700説明: 説明: 説明: CIMG8710説明: 説明: 説明: CIMG8723

1111日開花    1116日の状態   1117日落花

 

2009年最初の花は、23日間咲いていました。

説明: 説明: 説明: CIMG0486x説明: 説明: 説明: CIMG0490説明: 説明: 説明: CIMG0493x説明: 説明: 説明: ピンク八重底紅6月24日CIMG0495

621日開花開始  622日全開(1日目)  623(2日目)   624(3日目)

 

まだ、日照不足で低温の日が多くつぼみの数が多いので

6月〜8月は2日間くらいで推移していました。

 

説明: 説明: 説明: 右の紫八重CIMG0623説明: 説明: 説明: 右の紫八重CIMG0649

712日全開(1日目)      713(2日目)

 

説明: 説明: 説明: 再生した紫一重底紅CIMG0647説明: 説明: 説明: 再生した紫一重底紅CIMG0674

713日全開(1日目)      714(2日目)

 

説明: 説明: 説明: 紫八重と紫一重底紅0715CIMG0685説明: 説明: 説明: 紫八重と紫一重底紅0716CIMG0689

715日全開(1日目)      716(2日目)

 

 

 

9月になり晴天の日があるようになり

開花している日数が増えてきました。

 

説明: 説明: 説明: 紫八重底紅花笠0906CIMG1300 96(a1日目)

説明: 説明: 説明: 紫八重底紅花笠0907CIMG1313 97(a2日目)

説明: 説明: 説明: 紫八重底紅花笠0908CIMG1318 98(b1日目, a3日目)

説明: 説明: 説明: 紫八重底紅花笠0909CIMG1322 99(b2日目, a4日目)

説明: 説明: 説明: 紫八重底紅花笠0910CIMG1327 910(b3日目, c1日目, a5日目)

説明: 説明: 説明: 紫八重底紅花笠0911CIMG1339 911(b4日目,c2日目)

説明: 説明: 説明: 紫八重底紅花笠0912CIMG1354 912(b5日目, c3日目)

説明: 説明: 説明: 紫八重底紅花笠0913CIMG1370 913(b6日目, c4日目)

 

 

 

また、白楽天(白居易)は、後に(その7で)述べますように、

仏法の教えにたけた方です。

仏教の基本原理をあらわすこの花を、

儚い物のたとえなどにはしないと思うのです。

詳しいことは、空(くう)の概念のところでご説明します。

 

中国語を習うと、この疑問がさらに大きくなってきます。

文の構成はSVCSVOの形式で

松樹千年終 是 朽

 主語  動詞 補語

槿花 一日自成 栄

主語   動詞句 目的語

 

動詞は

中国語の が、英語の is 

中国語の が、英語の achieve

成には一日自英語の a day naturaly という修飾句がついています

 

補語は

()ちること

目的語は

(さか)えること

 

また、それぞれの主語は

松樹 千年  終

主語の修飾句 主語

槿花

主語  

でできています。

 

英語やドイツ語を習った方はもう、

私のいいたいことの意味を、わかっていただけたと思います。

中国語はインドアーリアン語ですので、英語になら逐語訳が可能です。

 

松樹 千 年 終 是 朽

Pine tree thousand year final  is  rust away,

 

槿花 一 日 自 成 栄

Rose of Sharon bush  a  day  naturally  achieves  prosperity.

 

日本語に訳すと、中国語、英語ともに、

松の木の千年(長い期間の意味)の終わりは、朽ちてしまうこと。

もくげ(もくげ)の花は、一日(短い期間の意味)で自ずと栄える。

となります。

 

この翻訳には追加する字句は不要です。

 

松の木は鎧(よろい)のような樹皮と、針や槍のようにとがった葉で身を守ていますが、

若いころにはマツタケなどに根の養分まで吸い取られ、

年をとっては、幹まで松くい虫に食われても、

千年の風雪にたえているけれど、最後は、腐ってしまいます。

(武士、軍人、役人、政府、王朝、国家、その指導原理などのたとえではないでしょうか)

 

一方、もくげ(もくげ)は、花粉や蜜や新芽、おいしいものを、

いつもたくさん与えることができるので、

芋虫、毛虫、アブラムシ、蟻や蜂に囲まれてそだち、

あっというまに、花を咲かせます。

(施しをする信者や、大勢のひとに慕われる僧侶、仏教の教義の象徴ではないのでしょうか)

 

白楽天は、官僚として活躍し、詩人としても、そして仏教についても一流の人

奥の深い詩をよんだのではないでしょうか。

この推測については、一切空の概念のところで、補足説明します。

 

(じつ)は松も、花も実()もつけます。

説明: 説明: 説明: image014説明: 説明: 説明: image016

花粉をとばす雄花   松ぼっくりになる雌花

もくげ(むくげ)に比べるとちょっと地味ですね。

 

 

白楽天の放言其五の全訳はここをクリック

 

目次へ

 

その3 私はもくげ(むくげ)、野のユリ

 

中国の徳や儚(はかな)さの話の次は、カナンの地の恋の話です。

 

説明: 説明: 説明: シャロンIMG_0001

地図は現在のイスラエルのものですがテルアビブの北、ネタニアの方面の平野がシャロン平野です。

この地方はこの地図にはHASHARON(ハシャロン)とかかれています。

海岸で○のついているところが、大阪ならば西宮のヨットハーバー、

東京でいうと、新木場の先の夢の島マリーナや若洲ヨット訓練所のあるところです。

 

これも遠い遠い昔のお話です、紀元前965925年頃、今から約3000年前のことです。

旧約聖書には、古代イスラエル王国3代目のソロモン王が、王妃と結ばれるときの恋の歌が

残されています。その、雅歌二章一節に

 

「わたしはシャロンのバラ、野のユリ」という歌詞があります。

 

説明: 説明: 説明: image064ばら   説明: 説明: 説明: image060もくげ

 

このシャロンのバラが、どんな花であったのかを巡っては、様々な説があります。

もくげ(むくげ)の他には、

クロッカスの一種

チューリップの一種

浜ゆりの一種

共通点は底紅がある花を咲かせる点ですが、

私は、もくげ(むくげ)以外のどれにも、無理があるように思います。

 

前後関係をみると

わたしたちの家の梁は香柏、そのたるきはいとすぎです。

わたしはシャロンのばら、谷のゆりです。

香柏 = ヒノキ = 建築資材、防腐剤

いとすぎ = スギ = 建築資材、防腐剤、香料

レバノン杉のことだとしたら、フェニキアの船団の船の建材、

とにかく役に立つ植物です。これにつづいて、いますから

シャロンのバラ = もくげ(むくげ) = 薬の原料

がほかの植物よりも違和感がないように思います。

 

説明: 説明: 説明: image048   説明: 説明: 説明: image050

ばら         もくげ

ストーリーは

外でよく働き日焼けして色が黒くて、と思っていたのにソロモンに見染められた

女性の歌ですから。役に立つ花の方が似合っているように思います。

むかし話には、何か役に立つことがかいてあるのでは、の説です。

 

旧約聖書はヘブライ語で書かれていて、この部分は

חבצלת

発音はḥăḇaṣṣeleṯだそうです。

イスラエルには、この名前の植物があり

חבצלת חבצלת החוף (海岸の ḥăḇaṣṣeleṯ).

と呼ばれているそうです。

これは、海岸に咲くユリのような花で、これが野のユリの方ではないかと思っています。

 

なにせ、今のイスラエルは、この土地に帰るのに、2000年以上もかかったのですから、

日本の朝顔のように、今、同じ呼び名の植物が、

その当時のその名の植物である保障はないように思います。

 

その新しいイスラエルの建国前は、

このシャロンあるいはハシャロンは、イギリス領でした。

英語ではRose of Sharon = もくげ(むくげ)です。

そして、アメリカにはイスラエルよりずっと多くのユダヤ系の方がおられます。

アメリカでも、もくげ(むくげ)説が広く信じられているようです。

 

イギリス領になる前は、トルコ領でした。トルコ系住民の比較的多い

ドイツ語でもSharonroseシャロンロゼという呼び名の植物はもくげ(むくげ)です。

済みません、トルコ語はわかりませんので、

どなたか、知っている方に託すか、長生きして勉強するしかありません。

 

説明: 説明: 説明: image056    説明: 説明: 説明: image058

ばら         もくげ

 

 

 

目次へ

 

その4 源氏ともくげ(むくげ)

 

源氏の君に愛されたもくげ(むくげ)

 

旧約聖書の恋の話の次は、平安の宮廷の恋の話

これも、むかしのお話です。これは1000年ほどの昔のこと、

平安京、今の京都が日本の首都、行政の中心地であった時のことです。

紫の式部、現在でいえば、宮内庁か人事院の幹部、

公務員の人事、叙勲などを所掌する部局の方がお書きになった、

職責からすればずいぶん大胆な小説があります。

「源氏物語」です。

ここでもまた、もくげ(むくげ)は人の名前として登場します。

ヒロインは朝顔です。

朝顔が加茂の斎院(今なら文化庁か国会図書館でしょうか)に勤務し、退職した後の

おはなしがこの話です。

 

物語の主人公の源氏の君は当時34

朝顔さんも、そこそこの年齢であったと思われます。そこで、

見し折りのつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらん

などという話になるわけです。

 

説明: 説明: 説明: image012

源氏物語の朝顔について、深く論じるつもりではありませんが、

この朝顔さんの名前となった花は、桔梗ではとか

異説が出始めていますが、

やはりもくげ(むくげ)であろうと思います。

 

旧約聖書の話と比較すると、

アウトドア、インドアの違いはありますが、

どちらも、

一生懸命に働いてきたキャリアウーマンと

宮廷の王子様の物語。

そのヒロインが

シャロンのバラ、朝顔、もくげ(むくげ)です。

 

少々長くなりますが、もうひとつ理由があります。

 

源氏の子供のもぐけ(むくげ)

 

源氏の武士の家には、その一部にかもしれませんが、

子供が育ち始めるともくげ(むくげ)の木を植える習慣があるようです。

 

実家には、祖父が私のために植えてくれた木の他に、

妹の木も、弟の木もあります。

叔父の家には、叔父のもくげが咲いています。

 

同じように、江戸のお屋敷町、

内堀に面した半蔵門から番町、麹町、

市ヶ谷と飯田橋の間で外堀をすぎて加賀町方面へ、

散歩をすると、昔の足軽の長屋、御旗本のお屋敷、そのあとに立った

官舎やマンションにも、もくげ(むくげ)が美しく咲いています。

一昨年、昼休みに散歩しながら写した写真です。

説明: 説明: 説明: CIMG0446説明: 説明: 説明: CIMG0469

 

説明: 説明: 説明: CIMG0485説明: 説明: 説明: CIMG0488説明: 説明: 説明: CIMG0486

松平家康は、徳川家康となって江戸にある千代田城に入り、

源朝孫(みなもとのあそん)家康となって征夷大将軍

源氏の総大将でした。

 

源氏の子にはもくげ(むくげ)の木が、ペアでついているという意味で、

物語の源氏の君に朝顔=もくげ(むくげ)の組み合わせも、

できたのではないかと思うのです。

 

このはなしは、次のお茶の話や、後述の、

素戔嗚尊(スサノヲノミコト)京都の八坂神社の話が

サポートしていますので、楽しみにしていてください。

 

 

 

目次へ

 

その5 お茶や生け花の文化ともくげ(むくげ)

 

まずは、一息入れるために、

お茶のはなしをしましょう。何百年か前の話です。

お茶や生け花の文化が武家の間で広がりました。

 

御茶事にもくげ(むくげ)

説明: 説明: 説明: CIMG8639

 

御茶事にもくげ(もくげ)を生け花として使うのは、

花を買ってくるのではなく、庭にたくさん咲いている花を

使ったためではないかと思っています。

お茶をたてるために、もくげ(むくげ)をわざわざ植えたのでは、

育てる手間も時間も、もったいないからです。

 

庭の花ならお金はかかりません。

武士は所詮サラリーマン、会社の浮沈同様、

藩の財政次第では、賃金カットも、リストラもありました。

家計のことを奥さんたちは考えたに違いありません。

無窮花(むくげ)と呼ぶのが好まれるのは、そのせいかもしれません。

茶釜を出すのが面倒な時には、祖父は鉄瓶でしたが、

私などは、やかんで、お茶をたててしまいます。

あるもので、おもてなしをする。

これがお茶の心得ではないでしょうか。

 

説明: 説明: 説明: CIMG8642

 

 

生け花のもくげ(むくげ)

 

生け花では、もくげ(むくげ)は飾られることのほかにも、

大切な働きをします。花配り(はなくばり)、木密(こみ)です。

 

むかしは、庵(いおり)の裏の竹やぶから切ってきた

竹筒などを利用したのでしょうが、今は、空き瓶です。

それも、伝統に従い、買ったのではなく、もらったものですませます。

説明: 説明: 説明: CIMG8635

左がドイツ旅行に行った人のおみやげのモーゼル。

右が5軒先の隣人のカナダ人の実家の両親が、

その夫婦が帰省の時にもたせてくれた

オンタリオのアイスワイン。

百円均一のダイヤモンドカッターで加工して、

ツタの彫り物をあしらいました。

この二つにもくげ(むくげ)を生けてみましょう。

説明: 説明: 説明: CIMG8628   説明: 説明: 説明: CIMG8634

モーゼルならスーパーでも売っていますが、

花を生けると、こんなになってしまいます。

オンタリオのアイスワインはうまくいきますが、普段は手に入りません。

 

そこで、登場するのが、花配り(はなくばり)、木密(こみ)の技です。

 

フォアデッキに穴のあいている強化プラスチックのヨットでは

その穴にマストを挿すと、マストが立ちます。

これは、オンタリオのアイスワインの花瓶です。

 

カッターやディンギーの多くは、コックピットが広いので、

ビームを取り付けて、マストをそのビームに立て掛けますが、

生け花でも同じ技を使います。

 

説明: 説明: 説明: CIMG8626 説明: 説明: 説明: CIMG8629 

もくげ(むくげ)の枝の分かれているところを一つ切ってきます。

切るときには、花瓶の直径よりちょっと長めです。

あとは、剪定した枯れ枝などを右のように用意します。

 

説明: 説明: 説明: CIMG8630 説明: 説明: 説明: CIMG8631

まず、左のように枝分かれしたところを

花瓶の内径よりほんの少し長く切りそろえます。

そして、これをギュッと押し込みます。

これが木密(こみ)

木を密着させるという意味なのでしょう。

枝分かれしたところが

うまく働いて、頑丈に固定されます。

これで、ヨット、ボート、船舶のビームが完成です。

 

どのくらい内径より長く切るのかは、

花瓶や竹筒の直径や、枝の太さ、枝の分かれ具合で

微妙に違ってきますので、すぐには、うまくいかないかもしれません。

剪定して捨てる枝を取っておいて、

暇な時に練習しておいてください。

来客の直前は時間がありませんから。

技は磨かないと身に付きません。

 

説明: 説明: 説明: CIMG8633

あとは、残りの枝を使って、花配り(はなくばり)を組上げます。

花のついたトップヘビーの枝を安定させるために、

3次元のパズルを解く必要があり、なかなか面白いものです。

大きな荷重は先ほどの木密(こみ)にかけ

枝は支えにつかいます。

すると、2つの空き瓶、いや花瓶はこのとおり、

説明: 説明: 説明: CIMG8632 説明: 説明: 説明: CIMG8634

モーゼルもオンタリオに負けなくなりました。

 

太さの一定しない竹筒を花瓶にするために、

針金のなかった昔の人がした工夫(くふう)

現代の私たちには、なんとかの予防の、頭の体操です。

そして、多くのヨットや船舶は、同じ技術でマストをホールドしています。

 

なぜ、竹筒や空き瓶ともくげ(むくげ)か、ということになりますと、

答えは2つです。

手近にあって、費用がかからない。

水中で、竹も、空き瓶も、腐らない。

もくげ(むくげ)に至っては、

挿し木のために、水中で発根させるくらいですので、

何日も腐らずに形を維持します。

 

いわばステンレスの部品のような耐水性の部品が、

生け花では、もくげ(むくげ)から作られてきました。

 

かくして、薄給のサラリーマンであった武家のたしなみに、

もくげ(むくげ)は大いに貢献してきたわけです。

 

わび茶の心得のひとつとして、

もてなしは、お金をかけることではなく、

工夫して、気を配ること、

もてなす心がたいせつなのだ。

などというようなことを、

教わったような気がします。

 

つまり、源氏=武士=サラリーマンの家には、

もくげ(むくげ)がたいてい植えてあった

のではないのでしょうか。

 

目次へ

 

その6 日本の伝統か韓国の伝統か

 

説明: 説明: 説明: もくげ白一重底紅CIMG4945

 

私の親友の一人は韓国のソウル大学を卒業しています。

韓国の漢字コンテストで確か2位、

韓国の文字や、歴史に造詣の深い文化人、

彼の著書は「書物を踏み台にして世界を視る」

残念ながらハングルで書かれています。

 

はじめて、私の家に彼が来た時のことです。

庭のもくげ(むくげ)の木を見つけて、

「なんでこの木を植えていますか」、

代々、子供が生まれると植えている。

御茶事に使う花だというと、

「むかしの韓国の貴族の習慣です」。

お茶についても、韓国がルーツ、とのこと。

この前ソウルに行ったときには、五君子(サグンチャ)

御茶事の音楽のCDまで用意してくれていました。

 

すると私の祖先は韓国の貴族?

いや、もくげ(むくげ)を植える私たちは、

海を渡ってきたのでしょうか?

その可能性があるのか、考えなくてはならなくなりました。

 

 

太王四神記のタムドク太子の子孫は埼玉県人

 

話は1600年前に戻ります。

談徳(タムドク)太子は高句麗19代目の広開土王、

即位が西暦391年です。

この高句麗の国は、新羅をへて、武蔵の国の高麗郡へ移ってきたとのことです。

若光王は飯能の近くの高麗神社(こまじんじゃ)にまつられています。

 

これは、1400年ほどまえのこと

若光王は、天智天皇のころには、高句麗の使節団(666年)の一員でしたが、

文武天皇の時代(703)に高麗若光に王の姓をもらい、

その後、元正天皇の時代(716年)に、武蔵(むさしの)国内に新設された

高麗(こま)郡の長に任命されたそうです。

 

この他にも、東京の狛江市、山梨県の巨麻郡や

関西の各地に高句麗に起源のある地名が残っており、

相当な数の人々が渡来したものと思います。

 

埼玉の高麗の近くには、

たくさんもくげ(むくげ)の植えられているところが、あります。

むくげ自然公園は一度行ってみたいところのひとつです。

 

説明: 説明: 説明: CIMG8639

 

 

 

祇園(ぎおん)さん

 

このほかに、こんな話もあります。

 

高句麗で、国王が殺されたり(642)、唐(659)に戦で負けたりして、

やがて、高句麗が新羅の国の一部になった前後のことです。

 

日本の歴史でいえば、

当時はまだ平安京に遷都する150年も前のことです。

京都に八坂神社が造営されました。

京都の八坂神社(やさかじんじゃ)には、いっぱい神様が祀(まつ)られていますが、

その中心に祀(まつ)られている神様は

素戔嗚尊(スサノヲノミコト)と櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)です。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治で有名な、

古事記に書かれている伝説のご夫妻です。

 

説明: C:\Users\imai-yos\AppData\Local\Microsoft\Windows\Temporary Internet Files\Content.Word\CIMG4303.jpg

 

その八坂神社の御紋の右側には木槿もくげの花が描かれています

 

八坂神社のホームページには、

八坂神社の創祀を社伝では斉明天皇2(656)と伝えていて、

この年には高句麗の使い伊利之(いりし)が来朝し、

彼は八坂造の祖先である意利佐(いりさ)と同一人物と

考えられているので、社伝の説をあながち荒唐無稽

なものとして退けるわけにはいかない。

と書いてあります。

 

八坂神社を、私たち京都で育った子どもは、祇園さんと呼んできました。

祇園さんとは、新羅の国に祭られていた牛頭天王を祭るお寺のことのようです。

東京にも天王洲アイルの地名がのこっています。

新羅の国は、高句麗の政権が日本の埼玉県に移る前に、あったところです。

素戔嗚尊(スサノヲノミコト)よりも前に牛頭天王がまつられていたようです。

 

素戔嗚尊(スサノヲノミコト)といえば武勇の神様の元祖

祇園さんの勢力は全国に広がっており、2,300社とも言われています。

小倉の祇園太鼓は有名ですが、全国各地に有名なお祭りがあります。

 

京都ではなんといっても、祇園祭

このお祭りは、千年前の東日本大震災

貞観(じょうがん)11(AD869)陸奥(むつ)大地震大津波がおきて

京の都をはじめ全国に疫病が広がった時に、行われた慰霊祭

祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)がいまも続いているものです。

 

祖父は、祇園祭りのお世話が大好きで、神官の休息所に実家を提供していました。

私は八坂神社の氏子として育ちました。そうすると、

八坂神社の氏子の数だけもくげ(むくげ)が植えられているのかもしれません。

祇園さんの名前を拝したもくげ(むくげ)は、いろいろあります。

従って、このルートから日本にもくげ(むくげ)が渡来している

可能性は高いと思われます。

 

そして、いよいよもくげ(むくげ)の品種のお話をさせていただいたときの

約束がはたせます。

この祇園祭の影響で、

祇園守(まもり)、祇園花笠、祇園、赤祇園、

などと言いうもくげ(むくげ)があります。

 

牛頭天王や素戔嗚尊(スサノヲノミコト)への京都の庶民のメッセージ

 

祇園祭りで、コンコンチキチン、コンチキチンと鐘(かね)、太鼓、笛の音と共に

山鉾の巡行が行われます。

その時、祇園さんの(ちまき)が、鉾の上から見物の人たちや、

沿道の町屋の窓になげこまれます。

 

素戔嗚尊(スサノヲノミコト)や牛頭天王は荒(あら)ぶる神様、厄病神のご先祖です。

蘇民将来(そみんしょうらい)という人が、この神様をおたすけしたことがあり、

その子孫は、殺されずに助かるという言い伝えがあります。

『備後国風土記』が素戔嗚尊のこの話のもとだとも言われています。

詳しい話は、八坂神社ホームページの祇園祭りと粽(ちまき)をみてください。

また、辞書やインターネットで

蘇民将来(そみんしょうらい)、牛頭天王(ごずてんのう)を引いてみてください。

 

ここでは(ちまき)の話です。私は、この粽は、むかしむかしの戦争、それは

いまではもう、いつのことか分かりませんし、

どこかであった戦争かもわかりませんが、

そのとき、敵味方の識別に役に立ったのだと思います。

 

英語でIFF identification friend or foe といいます。

みなさんも、現代の粽(ちまき)のお世話になっています。

現在、各国は防空識別圏に入ってくる航空機の敵味方を24時間監視しています。

レーダーは航空機が防空識別圏に入ると、一定の信号を送ります。

これに対して、航空機に搭載された、識別装置が回答します。

 

この答えがあっていない時、航空自衛隊はスクランブル緊急発進します。

目視確認、たしかに敵か目でも確かめます。

幸いわがくには、世界屈指の広大な防空識別圏を持つ国、

スクランブルをかけて、目で見て確かめる余裕がありますが、

ほとんどの国にそんな余裕はありません。

民間航空機でもIFFが回答しなければ、レーダーでは爆撃機と区別できないので、

奇襲攻撃の被害を未然に防ぐためにunknown不明機は撃墜するしかありません。

敵だとわかるか間に合わない時には、対空ミサイルが発射されてしまいます。

外国との往き来が安全にできるのは、祇園祭の粽(ちまき)の原理によるものです。

 

さて、むかしむかしの、戦の話に戻りましょう。

荒ぶる神々の部隊は、恩のある人々、つまり、蘇民将来の子孫の家には

危害を加えないようにしたのでしょう。

平安時代から室町時代の京都では、戦乱や、火災、厄病がしばしばおこりました。

そのとき、京都の人々は、この話を思い出したようです。

 

朝霞で行われる自衛隊の観閲式、天安門前広場の人民解放軍を思い出してください。

ミサイル、戦車、大砲、普通科部隊が音楽隊のマーチに合わせて行進します。

 

京都の四条通のパレード(山鉾巡行では)では

長刀を先頭に鉾(:ほこ)を並べて、祇園囃子にのせて、町を練り歩きますが、これは、

当時の先端兵器の大軍事パレードです。

IFF装置の粽が、お祭りに参加した、庶民にも分け与えられているのです。

 

こうして、京都の町衆や庶民は、自分たちの力で、軍事パレードのマネをして、

武士に神代の昔から伝わっていた識別装置である粽を手に入れ、

そこには、「蘇民将来の子孫なり」と書いて、

戦争や厄病から、自分たちを守ろうとしたものと思われます。

そんな起源をもつお祭りが祇園祭りです。

 

この(ちまき)こそが、八坂神社のお守りです。

玄関の軒先に下げたりしますので、

京都の町を歩くとき、玄関先につってある粽(ちまき)に注目です。

京都の庶民は牛頭天王や素戔嗚尊(スサノヲノミコト)

つまり、戦の神様や、病気の神様に、この粽(ちまき)

「私を病気にしないで、私を殺さないで、この家を焼かないで」

と、メッセージをおくってきたのです。

 

 

もくげ(むくげ)による代用

 

ただ、軒先に下げておくと、だれかが持って行ってしまうこともあります。

お菓子の粽は、和菓子屋さんにいけば、ほぼ1年中手に入ります。

お守りの粽を手に入れるには、大変です。

百万人を超える見物人の中で、鉾から投げられた

粽を運良く拾える人は、千人にひとり、ふたり。

鉾町(ほこちょう)の知人に頼んでお祭りの稽古を見学に行って、

寄付をしてもらってくる。そんなことはなかなかできません。

それなら、祇園さんへお参りをして、八坂神社の社務所で、

初穂料をお納めして、お守りを頂く。

これならできる、

とすぐ新幹線に飛び乗って、京都に行っても、

袋に入っている普通のお守りがもらえるだけです。

7月祇園祭の最中だけ、粽(ちまき)のお守りをいただけます。

 

そんなわけですから、大事な粽は、家の中にしまう(収納する)必要が生じました。

拙宅では、社務所で頂いてきた粽は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)

お姉様である天照大神(あまてらすおおみかみ)と一緒にお祀りしてあります。

 

説明: C:\Users\imai-yos\AppData\Local\Microsoft\Windows\Temporary Internet Files\Content.Word\CIMG4304.jpg

 

(ちまき)には「蘇民将来之子孫也」と書かれた布(最近は紙)が下がっています。

 

また、おまたせしてしまいました。やっと、もくげ(むくげ)の登場です。

京都のことを説明すると、どうしても「しんきくさい」はなしになります。

「かんにん」してください。

 

誰だかは全く分かりませんが、誰かによって、

源氏のもう一つの印のもくげ(むくげ)を利用する方法が考案されました。

(ちまき)は、家の中のどこか適当な場所につるします。

そして、それとなく、垣根や、塀の上から

もくげ(むくげ)の花をちらほら、見えるように植えます。

 

こうしておげば、あの、江戸の麹町で見たような、・・・

 

それでも、もくげ(むくげ)はもくげ(むくげ)、安心できない人は

やっぱり玄関に粽を釘でしっかり打ち付けて固定しています。

 

もくげ(むくげ)を、粽(ちまき)のように見せる工夫も行われています。

 

(ちまき)の写真を祇園さんのサイトで、もう一度見てください。

 

それがすんだら写真の粽を手にとって、笹の葉の柄のところをもって、

上下をひっくり返した状態にします。

 

説明: C:\Users\imai-yos\AppData\Local\Microsoft\Windows\Temporary Internet Files\Content.Word\CIMG4308.jpg

 

もくげ(むくげ)は粽の代用ですから、

粽に見える方が良いにきまっています。

 

布の「蘇民将来之子孫也」は垂れ下がって

(ちまき)が周(まわ)りに広がります。

今の紙のものは写真のようになります。

中心には多少、立っている粽もあるかもしれません。

もくげ(むくげ)の八重さ咲きの初期段階のものの雄蕊(おしべ)

この粽や、蘇民将来之子孫也」にたとえます。

 

従って、内側の花びらの数は、御守りの粽の数と同じくらい、

1枚くらいは内側の花びらが広がって開いているのが、よいわけです。

きっと素戔嗚尊も牛頭天王も、この家は、蘇民将来之子孫の家である

と思ってくれるに違いありません。

 

八坂神社へもくげ(むくげ)を見に行った方も、いるそうですが、

苗は、季節によっては社務所で分けてもらえますが

季節も数もごく限られています。

 

 

 

祇園さんに、祇園守の花がさいているわけではありません。

京都の庶民の家の中庭の塀の上から

一重から八重へ変わりかけていて

雄蕊(おしべ)のうち何本かが、中の花びらになりかけて、

しかも、その花びらのいくつかが、棒状で、粽のように見える花こそ

祇園守(ぎおんまもり)

です。

 

文脈からあきらかなように、祇園守は花の形、八重の咲き方を言うのであって、

花の色や底紅の色などには関係ありません。

 

説明: 説明: 説明: 白八重CIMG5220

白無垢の祇園守

もありますし、

 

説明: 説明: 説明: CIMG8526

薄紫に底紅の祇園まもりも、

 

説明: 説明: 説明: CIMG8281

ピンクに底紅の祇園守りもあります。

 

7月になったら、八坂神社へもう一度参拝されて、

粽のお守を頂いてから、京都の町並みを、暑いでしょうが散歩して

祇園祭のおけいこでも見学されると、

お宅によっては玄関の上か横に粽がありますので、

飾ってある本物の祇園守(ぎおんまもり)にであえます。

そして、お庭を見せていただけるところがあれば、

咲いている祇園守りにも会えるでしょう。

盆地特有の蒸し暑さの中で、

戦争や飢餓や厄病と戦ってきた

京都の気風もわかって頂けるかもしれません。

 

植えているもくげ(もくげ)が粽(ちまき)を通り越して、

華やかな八重咲きになってしまった時

上の2枚の写真はちょっとこの傾向があるのですが、

さらには、ほとんど玉になってしまった時

もくげ(むくげ)を植え替えなくてはならないでしょうか?

答えは、ノー

その必要はありません、

 

昔は本祭りと後祭りの2回山鉾(やまほこ)の巡行(じゅんこう)がありました。

今は、山鉾は本祭りに全てが巡行されます

でも、後祭りがなくなってはいません、

花笠巡行が行われています。

 

元は、大きな日除けの傘に花を飾ったのでしょうが

現在は、玉(ぎょく)に近い状態のものが

花笠と称して引かれていきます。

 

もくげ(むくげ)を知らない人は、花のボールのようなものを見て

なんでこれが花笠か分からないかもしれません。

そんな、わけですので

雄蕊(おしべ)がたくさん花びらになり、広くなり、

(ちまき)にみえなくなったら

こういうのです。

「花笠になってしもたなあ」

 

説明: 説明: 説明: もくげCIMG0485説明: 説明: 説明: もくげピンク八重花笠底紅CIMG8387

祇園花笠

 

とは、祇園守に見えない八重という意味です。

毎年、祇園祭の時に、素戔嗚尊にも牛頭天王にも

玉のような花笠をご覧になって頂いています。

 

 

反対に、チョロチョロと23本しか

雄蕊(おしべ)が花びらにならなかった、

説明: 説明: 説明: CIMG8330

先祖がえりの祇園守

なかなか、清楚で美しい花がさきました。

 

それを京都の母親たちは、忍耐強くじっと待っています。

幼稚園や学校から帰ってきた、いうことを聞かないこどもに

「きれいにもくげがさいたえ」

などといって花を見せておいてから、

「あんたなあ、おやつばっかりたべて、ご飯を食べへんやろ、・・・・」

こどもが、しまった、と思っても、もう手遅れです。

「あんたが、きのう、ちまきをたべてしもうたさかい、

もくげの花まで、こんな花になってしもうたやろ。」

その先は何も言いません。シンとしずまったその怖いこと。

おやつはあきらめるしかなさそうです。

京都の女の人は言葉がやさしくて、なんていっているのは、

京都のもくげを知らない人の・・・・・

花が咲いても京都の子供は、こうして、叱られてきたのです。

晩ご飯をしっかり食べて見せないと、つぎは、何としかられるかわかりません。

つまり

祇園守の内側の花びらが少ないときには、

(ちまき)が少ない

といいます。

 

もうだいぶ理解していただけたと思いますが、もう一度強調しておきます。

もくげ(むくげ)の祇園とは、咲き方であって、品種や色のことではない

と私は、理解しています。

 

 

祇園

代表は、白無垢の祇園守で、内側の細い花びらが、お守りの粽に見える花がベスト

でも、上の写真のように薄紫のも、底紅のもいろいろあります。

また、祇園花笠の可能性もあります。

 

 

赤祇園

と呼ばれるものがあります。

赤の八重

多分赤い祇園守、

しかし、赤い、祇園花笠に使ってはいけないことはないようです。

八重といわずに祇園という、くらいに、使われてきたのかも知れません。

植物学的分類法と、この文化的分類法は多少違うかもしれませんが、

TPOに応じて、使い分けて行くのが良いのではないでしょうか。

 

 

そうなると、私のルーツは、京都の庶民、

みんなも安心して納得してくれますし、私もほっとしますし、・・・

でもでも、・・・話はまだ続きます。

 

目次へ

 

高句麗、新羅に加えて百済からも

 

7世紀、天智天皇の時代に当時の首都の近江京(大津市あたり)に、

百済の人が多数移住し、中には公務員になった人もいた記録があるそうです。

 

 

こうした、出来事は、隣国同士の事ですので、多々あったのではないでしょうか、

そうした機会に韓国の歴代の王朝の貴族、役人、兵士が、渡来してきて、

もくげ(むくげ)を植える文化や、お茶、お花の文化が渡来した可能性があります。

しかし、それだけではありません。

 

みんなでやってきたのかも

説明: 説明: 説明: CIMG8173

それからもう少しさかのぼって2200年位むかし、

今度は、タムドク太子のご先祖の朱蒙(チュモン)王が

高句麗の国を建国(37)したのより

さらにもっと、むかしの話です。

後に高句麗の国になったところには、

北の方から

(ハク)、朝鮮(チョウセン)(ワイ)

という、民族がいたそうです。

 

やがて、秦の始皇帝が中国を統一し、

漢の時代に中国の版図は拡大しました。

そして、この地域は漢の領土の四郡、

玄菟(ゲント)郡、楽浪(ラクロウ)郡、臨屯(リントン)郡、真番(シンバン)

となってしまいます。

 

高句麗は玄菟(ゲント)郡の中の一つの県、

朝鮮は楽浪(ラクロウ)郡の一つの県になってしまい

その南にまだ漢の支配の及ばない(カン)

海を渡って倭(やまと、ワイ)があったようです。

 

この4郡が置かれたころには、いろいろなことがあり、

(ハク)、朝鮮(チョウセン)(ワイ)

の人々の中には、漢の力の及ばない南北へのがれ、

北へ行った人々の中には、

後に、高句麗を作った人々がいたわけですが、

南へのがれた人々が、

海を渡って、倭(やまと、ワイ)ともとから呼ばれていたところにやってきたか、

あるいは、その人たち自身が倭(やまと、ワイ)と呼ばれるようになった

可能性がありますが、

テレビの太王四神記で見たとおりタムドク太子が即位して、

広開土王になり、書記官をおいてからしか、

文字に書かれた歴史は残っていません。

 

漢が衰え、三国時代になると、高句麗が力を回復しますが、

このころ、独立できた高句麗の北部は貊(ハク)、南部は(ワイ)の民で、

朝鮮(チョウセン)の民は楽浪(ラクロウ)郡と帯方(タイホウ)郡として

()の支配下におかれたままでした。

その南は、やはり独立を維持していた韓(カン)、海の向こうが

(やまと、ワイ)です。このころ、やっと倭が魏の国の歴史に登場します。

 

 

その後、

(カン)の地域は、西から馬韓、弁韓、辰韓の3つの地域や国にわかれます。

 

そして、タムドク太子のころには、

西の弁韓は百済(クダラ)の国、

東の辰韓は新羅(シラギ) の国、

真ん中の弁韓は伽耶(カヤ)の諸国、

になりました。

 

この伽耶の地域は後に日本で任那(みなま)とよばれますが、

日本が植民地にしていたという説とともに、

(やまと、ワイ)と同じ民族で、最後まで、海をわたらず、

残った人たちだろうという説もあります。

 

すると、日本人はみんなで渡来したのかもしれません。

日本人渡来説といわれているものです。

その証拠のひとつは、

古代高句麗語と共通点の多い言葉は、新羅語、百済語、それに、

韓国語、しかし、もっとそっくりなのは、

なんといっても古代の日本語である、

という研究があるそうです。

 

 

源氏物語が書かれたのは、こうした話から

500年も1000年も経た後のことですから、

紫式部にとっては、この渡来人のはなしは、

今の私たちにとっての、平安時代や鎌倉時代、

比較的新しいものでも、室町時代や戦国時代

のはなしです。

 

源氏物語がかかれたころには、もう、もくげ(むくげ)は、

家々に子供の木として花を咲かせていたのではないでしょうか。

すると、源氏の君とペアの女性の名前は、

やはり、もくげ(むくげ)がふさわしいのではないでしょうか。

 

現代の標準語を話す東京の街で、なんとなく時間を気にしながら、

「アンニョンハセヨ」「げんきでね」

とわかれると、韓国人と日本人

でも、古代日本語に近い言葉の残る京都の町で、丁寧に、

「アンニョンヒハシプショ」「あんじょうにおしやす」

(イントネーション、ストレスの位置は全く同じに発音します)

とわかれると、なんだか、ちょっとした時代のちがい

同じことばのような気がします。

 

目次へ

 

その7 空(くう)の概念ともくげ(むくげ)

 

韓国を経由せず、中国本土から渡来したもくげ(むくげ)

のある可能性についても触れておきましょう。

光源氏の話もしましたが、今度は現代ののはなしから始めます。

この話題は20世紀における、いくつかの発見とかかわりのある話です。

 

物質は光を放って消滅し空間だけがのこる

 

2008年のノーベル物理学賞を小林先生と、

益川先生が受賞がされるのが決まりました。

先に受賞された湯川先生、朝永先生、小柴先生をふくめて、

これらの先生方は

物理学の中の量子力学の分野で受賞されています。

 

この量子力学の分野では、物質は原子からできている。

原子は陽子、電子、中性子など素粒子からできている

ことが知られています。

そして、素粒子には、一つの粒子に対して一つの反粒子

の存在が知られています。

 

たとえば、質量(しつりょう:おもさ)のある電子(-)に、

これも質量(しつりょう:おもさ)のある陽電子(+)をくっつけると

を放って、質量が消滅してしまう。

他の素粒子にも同様に、衝突させると

両方とも消えてしまう反粒子が存在するそうです。

 

それぞれの素粒子はいくつかの量子からできていて、

その量子の世界の研究が、これらの先生の研究です。

 

そして、むかしもむかし、137億年も前のことだそうです。

ビッグバン(大爆発)でこの宇宙ができた時に、それぞれの素粒子

電子、陽子、中性子、ニュートリノは、

その反粒子とぶつかったり、であったりして、

光となって消滅していいきましたが、

 

素粒子と反粒子の割合がちょっとだけずれていて、

素粒子の方が多かったために、

ビッグバン(大爆発)の後に、この宇宙が残ったのだそうです。

 

その素粒子を形成している量子のことが

もっとよく分かると、素粒子、原子、・・・、宇宙のことが

もう少し、よくわかるようになるのだそうですので、

カミオカンデや各地の加速器の将来の研究成果次第では、

この考え方は、変わってしまうのかもしれませんが、

少なくとも、今の量子理論が正しければ、

 

宇宙の質量と同じだけの反粒子があれば

そして、その両者が出会うと、

光とともに一切は空に帰します。

 

宇宙には見えていないところがたくさんあります。

そこに、そのような反粒子があれば、・・・

 

一切空(いっさいくう)の世界

 

この言葉の最初の2文字、一切(いっさい)とは

全てとかなにもかもという意味です。

 

数学の基礎論あるいは論理学の世界では、

この世の全てを集めてしまうと、

正しいか正しくないかということさえ、

成り立たない、あるいは、なくなってしまうということが

わかり始めてきました。

 

今から100年余り前

イギリスにこのことに気づいた人がいます。

バートランド ラッセルという数学者で、晩年は、哲学者です。

説明して、他のものと区別できるものを

元といいます。

その元を、集めてきたものを数学では集合といいます。

 

全ての集合を集めたものは、集合か?

 

全ての集合を集めたものとは、

この世にあって、こういうものであると、

いえるものを、すべてを集めたものという意味です。

それは、物でも、人でも、生物でも、考え方でも、

行動でも、運動でも、長さでも、重さでも、

何でも構いません。

 

この問題を解き始めると、答えが出なくなります。

 

すべてを集めたものは、

集合であるということから、推論を始めると、集合でないという結論になり、

集合ではないということから、推論を始めると、集合であるという結論が出ます。

これが、バートランド ラッセルの逆理(パラドックス)といわれるもので、

このままでは、真と偽、正と不正、・・・・・は、

不変かつ普遍のものではなくなるので大変です。

 

20世紀最初の、数学の学会で、ラッセル教授が、

来るべき世紀で解くべき問題の一つとして、提示しました。

 

20世紀が終わり、21世紀に入ってみて、考えてみると、

ラッセルの逆理(パラドックス)が解けたといってよいのかどうか、

私には、実は、よくわかっていないのですが、

 

ラッセルから、50年ほど過ぎて、1950年ころ、

ベルナイスという人や、ゲーデルという人が、

少なくとも、数学の世界では、ラッセルの逆理を

避けて通る方法があることを、発見しました。

 

その方法とは、集合の元を定義することが

無限にはできないものと仮定するのです。

 

どういうことかというと、

リンゴであれば、

 

種から、実、皮、包装紙、段ボール箱というように、

外側を追及していくのではなくて、

 

リンゴは、皮と、実と、種からできていて、

種は、

種皮 、胚乳、子葉、胚軸からできていて、

そのそれぞれは、組織でできていて、

組織は

細胞からできていて、

・・・・・・

というようなことが、無限には繰り返せない

と決めておこうというものです。

 

実際には、無限回繰り返せるかもしれないのですが、

それを、ここまでときめ、

それ以上は詮索(せんさく)しないことにした時にだけ、

真と偽、正と不正、・・・・・が決められるのです。

 

すべてをみんなと考えると、ものが決められなくなる。

不可能性定理の発見

 

自然科学の領域で、上の2つが証明されたのと、ほぼ時を同じくして、

社会科学においても、この人知の限界が分かってきました。

 

もくげ(むくげ)の色は、赤より白が良い、白より紫が良い

などという順序を選好の順序といいますが、

20世紀の中ごろに、こうした問題を研究していた、

アローやアマルティア・センによると、

全ての選好を、集めてくると、循環論がおきて、

何が正しいか、どうするべきかがきめられなくなるのです。

これを、政策学の世界では、不可能性定理、と呼んでいます。

 

もくげ(むくげ)なら、それぞれが好きなものを植えればよいのですが、

大事な事をきめようとしているときには、困ります。

民主主義では、決定ができない場合があるかもしれないからです。

 

アローもセンも、政策学のひとつの分野である

公共選択理論の基礎を築いた方たちです。

たしか、お二人ともノーベル賞も受賞されています。

 

政治的な意思決定の世界で、法律や政策を決める時に、

不可能性定理に加えて、ラッセルの逆理も発生することについては、

公共選択学会の、国内誌、「公共選択の研究」が

1981年に創刊された時に、論文として出しておきました。

反対のための反対を許すと、議論は際限なく続き、

うまく物事が決められなくなります。

賛成か反対かという問いかけが、そもそも、選択対象を

ラッセルのいう、すべての集合の集合にしています。

興味のある方は、大学の図書館ででも見てください。

 

社会科学、自然科学、どちらにせよ科学というものは、

有限の存在である私たちの作りだした、

有限の力しか持たない道具である

ということなのかもしれません。しかし、そのことを知っていれば、

無駄な議論を延々と続ける愚行を避けることができます。

 

20世紀には、

物理学、数学(論理学)、社会科学

の分野では、こうした人知の限界の認識が確認されたり証明されたりしましたが、・・・

 

ちょっと待ってください。

この概念を、ずっと前に悟った方がいます。

 

一切空(いっさいくう)の概念の発見

 

ここで、また、24002600年前の話です。

むかしむかしのある日、

インドの王子様であった、

お釈迦様(ゴータマ シッタールダ ブッタ)が、

インド一の美人と言われた奥さんや子供たちともわかれて、

様々な修行をつみ、

考えて、考えて、考え抜いて、ついに悟った、

とされている、仏教の考え方の基本原理がこの

一切空

という概念です。

この世に不変のものはない、消滅しないものもない、

物も、人も、好き嫌い、愛憎、考えさえも、

その基本原理の上で、今存在しているだけである。

という意味です。

そのことを知って、物事への執着(しゅうちゃく:こだわり)を捨てよ、

というのがブッタの考え方です。

信じるのではなく、悟らなくてはいけないというのが

小乗や禅の考え方です。

 

このことだけに、注目すると、ブッタの悟ったことは、

宗教というより、哲学とか、認知科学のような気がします。

しかし、信仰としての側面では、やはり、

信心、宗教に当たるのかもしれません。

 

この一切空という概念を表す言葉は、

インドの古代言語サンスクリット(梵語)シュニャータといいます。

この発音を中国の人たちは、

舜若多

と漢字で記述しました。

 

また、前置きが長くなりました、本当に、申し訳ありません。

やっともくげ(むくげ)の文字(シュン:もくげ/むくげ)がでてきました。

 

なぜ、もくげ(むくげ)の舜の字をあてたのかは、わかりません。

しかし、もくげ(むくげ)は、ここでは、人ではなく

原理あるいは観念を表わす言葉の一部に使われています。

 

そして、その後、(もくげ/むくげ)は、仏教の基本原理を象徴する木、

または、花と考えられるようになりました。

 

 

(もくげ/むくげ)と蓮(ハス)との出会い

 

ブッタ(お釈迦様)がこの悟りを開いたところは、インドのビハール州にあり、

ガヤといいます。この古い地図にGayaと書いてあるところです。

説明: 説明: 説明: IMGx

もっと、詳しい話をすると、Gaya近郊の菩提樹の下で、

長い期間、瞑想していたブッタが、悟りを開いたことになっています。

夏は、かなり、暑いらしく、そのあたりに生えていた

菩提樹の木の下の日陰で考えていらっしゃったのでしょう。

この暑さは、そうとうなもので、じっと瞑想していても、

汗をかいたりして、大変だったのではないでしょうか。

そこで、風呂、シャワー、

そんなものは、この時代、この場所にはありませんでした。

 

この正確な場所は、現在、ブッタにちなんで、

ブッタガヤと呼ばれています。

Google earth や Yahooで地図検索する方は、

Bodh Gayaで検索してください。

Gaya の南に、その場所があります。

 

精密な地図や衛星写真を見ると、そこには大きな河が流れています。

舜若多(シュニャータ:一切空)の悟りを開いた頃、

ブッタ(お釈迦様)は、その河で沐浴をされていたそうです。

 

この河が、ネイランジャ河

中国の人々は、この発音を

尼蓮禅河

と漢字で書きました。(はす)の文字の登場です。

仏像とくに涅槃像(ねはんぞう:悟りを開くため瞑想にふけるブッタの像)

蓮の葉や花の上に作られたり、描かれています。

 

禅河(ネイランジャ河)

 

Googleの衛星写真や詳細な地図を見て、

この地域の気候を考慮すると、乾季には、

水が減るか、干上がるかしますが、

雨季には、淀川や荒川の河口のような大河です。

河には蓮が生()えていたかどうかは分かりません。

ブッタガヤに、のちに建てられたお寺の池には、

日本のお寺と同様に、蓮が植えられているかもしれませんが、

悟りを開かれた時には、多分、そのお寺はなかったのではないでしょうか。

この蓮も、当初は発音を表現しただけの文字であったような気がします。

 

こうして、舜、むくげ(もくげ)は、仏教の基本原理

表現するための文字として、

また、は、その原理の発見されたところを表す文字として、

使われることで、中国で出会いました。

 

 

長い話を縮めると

 

ブッタ(お釈迦様)は、蓮の上、つまり尼蓮禅河(ネイランジャ河)のほとりで

もくげ(むくげ)の花の悟りである舜若多(シュニャータ:一切空)をひらかれたわけです。

 

これは蛇足ですが、

毎朝、コーヒーに入れて飲むスジャータは、

悟りを開いた、お釈迦様に、

最初にミルクで煮たお粥を寄進した、女性の名前です。

朝コーヒーを飲むとき、蓮ともくげ(むくげ)の出会いのことでも、

思い出してください。

ゆったりとした、気分になれるかもしれません。

 

仏教の伝来した飛鳥、天平の時代には、日本の国には文字がなく、

中国語(漢文)の素養のある一部の高級官僚や書記官以外は、

読み書きができなかったと思われます。

テレビ、ビデオはもとより、衛星写真も、世界地図も、

ありませんから、ヒマラヤの南にインドという国があって、・・・

などと言ってみても、聴衆は、みんな寝てしまうでしょう。

 

布教に当たった人たちは、庭に出て、実物の蓮(はす)と舜(もくげ、むくげ)を見せて、

人々に仏教の発祥した場所とその基本概念を説明したのではないでしょうか。

お寺には、もくげ(むくげ)の花をよく見かけます。

 

 

説明: 説明: 説明: もくげ白一重底紅CIMG4945

白底紅のもくげ(むくげ)を宗旦と呼びます。

お茶の宗匠である千宗旦(せんのそうたん)

の愛された花でした。

若いころは大徳寺で修業されましたので、

正法大聖国師古岳宗旦禅師

という長い名前もあります。

元俗して、京千家を継いだ方です。

 

大徳寺は一休さんのお寺、禅宗(臨済宗)の本山、

お寺の正式の名前は、 大徳禅寺

の象徴が中国の帝

従って、このの字は人徳を表面で表しながら仏教の世界では

(基本原理シュニャータ)の意味を含んでいます。

その花はもくげ(むくげ)です。

 

はブッタが瞑想した場所の尼蓮(ネイランジャ河)

つまり仏教の出発点

瞑想することを坐禅、というのは、禅に座る、

ネイランジャ河に座る、つまり、悟りを開くことです。

 

禅宗は他の宗派よりも基本原理に近いのですが

原理主義を表面に押し出すのではなく、

うまく、表現したものだと感心している次第です。

 

時代は遡りますが、上述の

白楽天(白居易)は、

晩年は龍門(ロイメン)にある香山寺に住み、

号は「香山居士」とのことです。

 

龍門香山寺

龍、山、寺3字はそのまま残し、

門を三寶(仏法僧)の寶に変え、

大徳=大いなる徳==仏教の基本原理

=ネイランジャ河の出発点に帰る宗派=禅宗を加えると

白楽天(白居易)のお寺の名前が、一休さんや、宗旦のお寺

大徳禅

略して

大徳寺の名前に変わります。

 

もくげ(むくげ)の宗旦は、韓国の国花と同じ、白地に赤の花です。

宗旦の他にも、大徳寺花笠など、このお寺に由来する名前のもくげに、

非常によく出会います。

 

 

 

川越の方言

 

川越市総務部市史編纂室が1968年に編集した「川越市史民俗編」には、

第十節 方言

の中に、川越の方言では

木槿を ムクゲ もくげ むくれんず むくれん もくれん

といろいろな呼び方をすることが書かれています。

私の知る限りでも、これは関東地方など、ほかの地方で広く使われており、

さらに、ハチス、キハチスとも呼ばれているようです。

漢字で蓮、木蓮とも書かれています。

全て、池の蓮ではなく、むくげ(もくげ)のことです。

仏教の基本にかかわる2つの植物をともに表すことばが

蓮、はちす、ということで

こういう呼び方がされてきたのでしょう。

 

 

兵庫県篠山(ささやま)市のホームページフォト篠山(ささやま)

篠山市二階町の廣瀬泰雄さんがのせておられる写真がありますが、

この写真ではすはちすの語源は明らかです。

池の蓮には蜂の巣のような実ができます。

説明: 説明: 説明: 蓮の花  説明: 説明: 説明: 蓮の実

蓮の花     蓮の実

 

ハチノスのノを落とすとハチス。

ハチスのチを落とすとハスです。

 

もくげ(むくげ)をハチスという地方では、

ハスというと蓮根(レンコン、ハスネ)をさしますので

地元の人のあいだでは、混乱しません

 

そして、もくげ(むくげ)のつぼみには、大きさが違いますが、

説明: 説明: 説明: image078

池の蓮のつぼみかと思うような色合いのものもあります。

 

もくげ(もくげ)も蓮も

花の色は、白、ピンク、薄紫がどちらも主流

そうでした、それから、もくげ(むくげ)には、ハチがよってきます。

 

そんなわけで、もくげ(もくげ)と蓮はともに、

ハチス、キハチス、モクレン(木の蓮)とよばれ、

仏教の伝来に伴って、中国から、ペアで渡来した可能性もあるのです。

そんなわけで、お寺にもくげ(むくげ)を植える文化のルーツは中国のものらしいのです。

 

 

 

こう考えてくると、槿花一日自成栄のもくげ(むくげ)

中国の官僚である白居易にとっては

帝舜の徳の象徴

仏門の詩人、白楽天にとっては、

仏教の基本原理舜若多(シュニャータ:一切空)の象徴

松よりもはるかに大切な木ではなかったのでしょうか。

槿花一日的栄

とは白楽天は書いていません。

後の人が何かの都合でそういっただけのような気がします。

あるいは、

白楽天の詩とは、別の言い伝えがあったのかもしれません。

 

 

目次へ

 

その8 もともと日本にあったかもしれない

 

むかしむかしの人が運んだかも

 

いままで、考えてきたのは、たかだか2000年とか3000年のはなしです。

しかし、それより、ずっと前の人たちもいたわけです。

その人たちが、運んできた可能性もあります。

文字はなかったので、文献としての記録はありません。

遺跡を掘る時に、もくげ(むくげ)が出てこないか、調べるしかありません。

どちらが先祖のもくげ(むくげ)かを特定するために、

中国や韓国のもくげ(むくげ)とのDNA鑑定も必要になるでしょう。

この仕事は、文学部比較文化の方や、考古学、理学部の方にゆずりたいと思います。

 

 

 

海流が運んだかも

 

人が運ばないでも、海には、海流が流れています。

日本付近の潮流は、遅いところでも12kt(ノット)、早いと10kt以上にも

なります。これは、ヨットと同じくらいの速さです。

昔の帆船もヨットと同じくらいですが、風待ちや暴風の時は欠航します。

海流は、天候にかかわりなく流れていますので、

人が船で運ぶよりも早く届いた可能性もあります。

中国やインドで洪水で流された、種、枝、株、木全部が流れることもあるでしょう。

昔は防波堤も、防潮堤もありませんので、高潮に乗って陸上に流れ着いた可能性もあります。

さらに、利根川や荒川では、潮汐による潮の満ち引きは、軽く100kmを超えて、関東平野の

中央より北にまで達しています。他の川でも大きな川なら、かなり上流まで、潮汐があります。

雨の少ない時に、南東の風が吹いていると、川面に浮いた、もくげ (むくげ)の枝が、

埼玉県北部に流れ着いた可能性もあります。河内平野に流れ着いた可能性もあります。

挿し木のできるもくげ(むくげ)は、日本に流れ着き、根を出して成長したのかもしれません。

仲間のハイビスカスも、あちこちの島々に咲いています。

海流によるもくげ(むくげ)の渡来の可能性の研究は、

気象学や海洋学、あるいは、農学でフローラ(植相)を研究している方がいたら是非

手のあいている時に手掛けてほしいテーマです。

 

 

もともと生えていた

 

房総半島や伊豆半島は、太平洋の海底の岩盤がマントルの対流にのって運んできた島が、

本州にぶつかってできたそうです。この動きは年間数cm

そうなると、南の海で咲いていたハイビスカスが、何十万年、何百万年かけて

進化しながら日本列島に達していた可能性もあります。

長いようですが、恐竜の時代に比べると1/1001/1000の最近のことです。

もくげ(むくげ)の化石、ハイビスカスの化石は日本で出てくるでしょうか、

花粉の化石からDNAの判定はもうできるのでしょうか、

枝葉がなくても花粉ならたくさんあるはずです。

これは、地学、地質学、生物学、物理学、ですので、やはり、

理学部の方でないと手に負えないかもしれません。

 

 

 

文化の融合ともくげ(むくげ)

 

朝、顔を洗ったと記録にいちいち書かないのと同様に、

朝顔(もくげ/むくげ)を挿し木したとか移植したとは、

記録には書かれていません。しかし、なにもいわれなくても、

引っ越すときには持っていきますし、親戚、知人、近所に子供の生まれたとき、

株を移植するか、枝を持って行って挿し木します。鉢植えを差し上げることも多くなりました。

それは、朝、顔を洗うのと同じく、当たり前のことで、疑問は湧いてこないのです。

だから、もくげ(むくげ)は、観賞用や薬として植えられているのではなく、

文化、伝統、習慣の一つして植えられているものであると思っています。

 

 

この花は、人々のルーツや職業のルーツ、

さらには、信仰のルーツにもかかわる大切な花です。

その結果、もくげ(むくげ)にまつわる話は、どれも、

突き詰めていくと、奥が深すぎてよくわからなくなってしまいます。

それほど、もくげ(むくげ)は、人々の生活にかかわってきました。

もくげ(むくげ)は胃腸薬に入っていますので、

飲んだことのない方は、多分ほとんど皆無でしょう。

花を見たこともない方も同様に少ないでしょう。

目の不自由な方も、葉や花の匂い樹皮の手触りなどご存じのことと思います。

 

大徳寺祇園守

という名のもくげ(むくげ)があります。

この中国系の呼び名と韓国系の呼び名を併せ持つもくげは

どんなもくげ(むくげ)でしょう

 

もくげ(むくげ)の命名のルールを参考にすると、

大徳寺祇園守と名乗れる花は二つに分類できます。

 

一つ目は、大徳寺の境内に咲く祇園守です。

この花は、もくげ(むくげ)の咲くころに

大徳寺へ行くとみることができます。

楽しみのために答えは書きません

 

もうひとつは、大徳寺で有名なお茶の宗匠(そうしょう)

千宗旦(せんのそうたん)ですから、

色合いが宗旦つまり白底紅で

咲き方が祇園守

この花は、拙宅に咲いている

説明: 説明: 説明: image080

大徳寺祇園花笠

とともに

大阪市立大学理学部付属植物園

にも咲いているそうです。

 

二つの文化圏が日本で重なるように

このもくげは日本に咲いています。

また、この文化の融合した場所は

何と、百済だとの説もあります。

しかし、半島にある東百済ではなく、

現在の中国の本土、

タムドク太子が攻め込み、青龍の神器を得た

西百済かもしれません。

百済は黄海の両岸にあった国です。

 

渡来人の子孫はどれくらいいるのか

 

1人の渡来人がもくげをもって

2000年前に、来たのだとします。

125年で子供ができれば、80代目の子孫が今います。

現在の合計特殊出生率1.2人の子供が育ったとしても、

1人 × 1.280 = 2,160,228

その人の子孫がいます。

中には枯れてしまうのもありますから、

もくげ(むくげ)の数は 1,000,000株くらいでしょうか。

50人の渡来があったら

と考えると、

50人 × 1.280 = 108,011,423

1億人の子孫がいます。

もくげ(むくげ)の数は 50,000,000株。

 

もっともっとたくさんの人たちが渡来してきたそうですから、

この国に暮らしている我々はみんな、

いろいろな渡来人のルーツを持っていると

思ってもよいのではないかとおもいます。

 

 

その中から、日本のもくげの文化が形成されてきたし、

特に世界中の品種が集まってくるようになり、

今も急速にその内容を拡充しつつあるように思います。

 

いろいろな人々のルーツに対する考え方があるように、

いろいろなルーツのもくげ(むくげ)の花が、

いろいろなルーツを持つ人々とともに咲いているのは、

 

どの国にいっても、同じです。

世界中でなにも言わずにたくさんもくげ(むくげ)が咲いてします。

 

もくげ(むくげ)には、秋の終わりから、春先まで、

あまり手のかからない季節があります。

そんな時のたのしみに、こうした国々の古典や、歴史を、

もくげ(むくげ)を育てる習慣や伝統という視点から、

読み解いていくのも一興(いっきょう)です。

 

 

そして、こう思っています

 

どの話が正しくてどの話が間違いか、ではなくて、

どれもみんな正しいと、楽しいなと、思っています。

植木鉢は、一方を捨てるのではなく、

並べておく方が楽しいに決まっているからです。

 

 

 

Vol.2 の最後に

 

帝舜の奥さんのお琴の音色は出せません、五君子の名曲はファイルが

大きくなりすぎで、サーバーに入りません。

 

来客があれば、もくげ(むくげ)をかざって、お茶をたて、

昼間から天体望遠鏡で空を見ていて、

日が暮れると、蓮根(れんこん、ハスネ)のてんぷらで一杯やって、

夜更けになると、天体写真を写したり

こんなホームページを黙々と作っている。

 

家人からは、ただのオタク、

知人、友人からはただの変人(へんじん)、閑人(ひまじん)ですが、

本人は、もくげ(むくげ)の文化を継承し、伝承しているつもりでいます。

 

少しでも、もくげ(むくげ)に興味を持っていただければ幸いです。

長い話にお付き合い、まことに、ありがとうございました。

 

このページの目次へ

メニューへ戻る

Yoshio's pages  HOME へ戻る